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第四章 静かな館内に残る影

Author: 神夜 紗希
last update Huling Na-update: 2025-12-28 06:56:02

先ほどまでは閉館作業で慌ただしかった館内だったが、

気づけば、人影がじわじわと少なくなっていくのを

美咲はスマホを片手に眺めていた。

客はもう、ほとんど帰ってしまったらしい。

従業員は各フロアを巡回し、確認し終えた店舗から順に

盗難防止用のカーテンが、シャッ……と降りてゆく。

美咲は、ひとりだけ取り残されたような感覚になり、

胸の奥に不安がゆっくりと広がっていくのを感じた。

その時——

パチン。

館内の照明が、わずかに一段暗くなった。

「わっ……ビックリした。」

突然の変化に、美咲は思わず声を漏らす。

館内BGMがふっと途切れ、

最後の音の残響だけが耳の奥でゆらりと揺れた。

その静けさの中で、美咲は小さく呟く。

「悠……まだ……?」

トイレの入り口からは何の気配もない。

美咲は不安になってソワソワし出した。

(ほんとにあのトイレにまだいるのかな?

 あたしがスマホ見てる間に出てきて、もう外に行ってるかも……)

トイレの前まで行って声を掛けてみよう。

そう思い、一歩踏み出した瞬間——

ガシャン、ガシャン。

シャッターの降りる音が、店の奥から響いた。

従業員たちが帰り支度を始めている。

「あ、ちょっと! まだいます!」

美咲は焦って声を上げるが、

その声はシャッターの金属音にかき消された。

バタン。

最後の扉が閉まる。

美咲は、静まり返った館内にひとり取り残された。

(え〜……いくら田舎とはいえ、客を残して帰るとか許されるの?)

信じられない、と憤慨していると、

そのすぐ背後で、“何か”が動いた気がして振り返る。

……誰もいない。

デパートの館内は、秋の終わりとは思えないほど冷え込んでいた。

「……寒っ。外じゃないのに?」

空気の奥からじんわり滲んでくるような、

“底冷えの冷たさ”が肌を刺す。

(閉館したから暖房消したのかな……

 それとも、これ、なんか別の要因の……)

美咲はぶるっと身震いをし、

無意識に両腕をさすっていた。

(さっきの従業員さん……何か言いかけてたよね……?)

美咲は一度だけ深呼吸をし、

暗く静まり返った男性トイレへ、ゆっくりと足を向けた。

悠が入っているであろう“唯一閉まっている個室”の前に立ち、

美咲は扉に向かって呼びかけた。

「悠ー? まだー? デパート閉館しちゃったよー?」

返事がない。

目の前で声を掛けているのに……。

(ドアが閉まってるのここしかないし……悠はこの中にいる……よね……?)

美咲は不安になりながらも、ノックをしようと腕をあげた——その時。

ギイ……ギ……ギギ……

誰も居ないはずの、

男性トイレの一番奥の個室。

その扉が、ゆっくりと勝手に動き始めた。

(……え?)

このフロアに、もう客はいない。

「……誰かいるんですか……?」

美咲は恐る恐る話しかけてみた。

奥の扉はそのまま完全に開き——静まり返った。

かと思えば、

ギィ……ギギ……キィィ……バタン……

閉まった。

またすぐ、

ギィ……

開いた。

閉めた。

開いた。

不自然な音の反復が、タイル張りの空間に冷たく響く。

美咲の心臓が跳ねる。

震える腕をなんとか動かして、目の前の個室のドアを拳で叩く。

ドンドンドン!

「……ちょっと、ねぇ! 悠! 出てきて!」

次の瞬間。

開ききった奥の個室の“上の隙間”から——

足 が、ダラン……と垂れ下がった。

青白く、血の気のない、死人の足。

「ーーーひッ!!!」

美咲は声にならない悲鳴をあげて、

反射的に男性トイレから飛び出した。

男性トイレを飛び出した美咲の耳に、

すぐ隣の女性トイレから異様な音が鳴り響く。

ズズッ……ズズズ……ッ

ドン……ッ!! ガン……ッ!!

ズズッ……ドン……ッ

肉の塊が壁に叩きつけられているような、生々しい音。

「ちょ、待って待って!!

 なんか出たんだけど!!

 悠ーー!? なんか出た!!」

男性トイレの方に向かって叫びながら、後ずさる美咲。

……ズル……ッ

さっきよりも近い場所で音が聞こえた。

美咲は震えながら、女性トイレを振り返る。

トイレ入り口の床に、“それ”がゆっくりと這い出してきた。

美咲は目が離せないまま、一歩、後ろに下がる。

こういう時、どう動けば良いのか——

正解がわからない。

そうしている間にも“それ”は、

ズリッ……ズリッ……と、美咲に近寄ってくる。

視線を床に合わせたまま、また一歩、美咲は後ずさった。

薄暗いデパートの中、まず見えたのは、

床にべったりと張り付くように伸びた長い黒髪。

次に、

青白い肩、血に濡れた腕。

そして——

裂けて血だらけの両脚。

膝から下が、まるで糸が切れたようにぶら下がり、

ふくらはぎがざっくり裂けて、切れた腱が赤黒く覗いている。

裂傷から滴る血が、

床に“赤い線”となって続いていた。

「……う”っ……はぁっ、はぁっ……何なの……?!」

美咲は手で口を押さえて、真っ青になった。

這いずり女は両腕だけで床を掴み、

骨がきしむような音を立てて身体を前へ突き出す。

ズザッ……!! ギシッ……

ズザッ、ズザッ……!! ギシッ……

美咲はもう見ていられなくなり、後ろを振り向いて走り出した。

その瞬間、這いずり女は肘の関節があり得ない方向に曲がったまま、

信じられない速度で迫ってくる。

血と髪をずるずると引きずりながら。

「いやー! やだー! はぁっ……早、早すぎ!!

 はぁっ……軍隊かよ、…っ、も、止まって!!」

美咲は叫びながら走った。

黙っていると、恐怖に押し潰されそうだったからだ。

這いずり女はもちろん止まることはない。

むしろ、さらに速くなる。

ズザッ……ズザッ……

……ズザァッ!!

後ろを振り返ることは出来ないが、

迫り来る音で、急激に距離が縮まっていくのが分かった。

「もおーーー!! ほんとやだーーー!!!」

すごいスピードで迫りくる這いずり女にビビりつつ、

美咲は覚悟を決めた。

(一直線の動きは早い。

 けど、あの傷だらけの体では、咄嗟の動きには付いてこれないはず……)

美咲はグンッとスピードをあげて距離を取り、

充分な空間を作ってから振り返る。

そして逆方向、這いずり女の方へと走り——

「…っっ! はぁっ!」

ギリギリで、

脇をスルッとすり抜けた。

ズザッ!!(すれ違いの音)

「…はぁっ、はぁっ! あぶな! もーやだ!!」

美咲は息も絶え絶えに叫びながら、

足がもつれそうになるのを堪えて走り抜け——

「うわっ! 美咲?!」

「わっ!!」

美咲は悠の胸に思い切りぶつかるのと同時に、

悠の腕に抱きとめられ、その感触に驚いた。

「美咲?! 何で走ってるんだ?」

「っはぁっ……悠?! 何って……今オバケが追いかけてきて……」

「……オバケ?! ってどこにいるの?」

悠が周りを見渡す。

美咲も、悠の腕を強く掴みながら後ろを向く。

……誰もいない。

シーンとした冷えた空気だけが流れていた。

美咲は信じられずに、目を凝らして暗い廊下を睨んだ。

すると、床には確かに血の跡が残っていた。

美咲はゾッとする。

(やっぱり……夢じゃなかった)

もう追いかけて来ないのは助かった。

足はもう限界だ。

乱れた呼吸を、悠にしがみ付いたまま整える。

「美咲、大丈夫?」

美咲はこくりと頷いた。

悠の優しさと体温が伝わってくる。

ふーっと長い息を吐いて、ようやく呼吸が落ち着いてきた。

そこでふと、追いかけられる前のことを思い出して、

美咲は掴んでいた悠の腕をぶんぶん揺らしながら怒った。

「悠さぁ、なんでトイレで声掛けたのに、ノックもしたのに、返事しないの?! 超怖かったんだけど!」

「え?! 声掛けてた? 何にも聞こえなかったって!!

違うドア叩いたとか……?

…いや、でも声もしないのはおかしいよな……。」

「……何も、聞こえてなかった……?

 だって、閉じてるドアは一つだけで……」

「真ん中だろ? 俺、ずっと居たよ。

でも、美咲の声も、ノックも聞こえなかった。」

「うそ……」

美咲は悠の腕から手を離す。

何が起きているのか、見当もつかない。

悠には自分の声が聞こえていなかった。

ドアがひとりでに開閉して、足が……

そして血だらけで追いかけてくる這いずり女……。

その時、美咲の脳裏に、あの“七不思議のポスター”がよぎった。

「這いずり女って……もしかして……七不思議、その1……?」

「七不思議その1……? 美咲、何言ってるの……?」

「……ううん。何にもない。」

口には出したくなかった。

言葉にすると、それを“本当にあったこと”として認めてしまうようで、嫌だった。

こうして、

二人の“長い長い夜”が本格的に始まった。

扉が閉じているはずのデパートに、

冷たい風が吹いているような気がした。

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